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暖かくなってきました♪


by kappy
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「エンディングノート」&大切な人たちへの想い

今日は3部作!
しかも、2番目、3番目の話題は自分の感情を整理するためです(^_^;)
長くなります(笑)。
適当なところで、読み終えてくださいませ


1月26日のこと。
「エンディングノート」という映画の鑑賞会があったので、行ってきました。
この映画は、テレビの特集か何かで知っていて、
機会があったら、観たいと思っていた。

とはいえ、実は、
観たい半面、気分的に観ることができるかなという気持ちもありました。
たぶん、こういう機会がなければ、
自分で映画館に足を運んで観ることはしなかったかもしれません。

この映画は、ガン告知を受けたお父さんが
亡くなるまでにやりたいことや、自分がどういう風に送ってほしいかを
考え、実現していく様子を映像に残したもの。
娘さんがずっとカメラで追い続けていました。

娘さんは、どんな気持ちで、カメラをお父さんに向け続けていたんだろう?
辛くなかったのかな??
そんんたことを観ながら、ふと思いました。
でも、そこは親子。
しっかりとリスト化し、実現しているお父さん。
そんなお父さんに話しかけながらカメラを向ける娘さん。
やっぱり親子だなぁ~と思いました。

この映画を観た帰り道、こんなことを想いました。
1つひとつ、エンディングノートに書いたことを実現していくお父さんに対しての
「よかったね」という想い。

我がアボジは
「あれでよかったのだろうか」という自問自答。

私が、お父さんの立場だったら
「どうするだろうか」という問題提起。

「後悔しないように生きよう」と言ったり、聴いたりすることがあります。
当たり前だけど、このコトバは生きている人にしか言えない。
既に亡くなってしまった人から、このコトバを聴くことはできない。
けれど、この映画の中での、いろんな場面でのお父さんの姿から、
このコトバを聴いた気がしました。


さて。
何行か前に
『アボジはあれでよかったのだろうか』
と書きました。
この機会に、振り返ってみたいと思います。

振り返る前に(^^)
このブログでは、何度かお伝えしておりますが、
「アボジ」は韓国語で「お父さん」の意味で
「オモニ」は韓国語で「お母さん」の意味。
なにせ、韓国好きなもので、使える言葉は使おうと(^^)

では。振り返ることにしましょう。

アボジが亡くなったのは、1994年4月18日。
約4ヶ月前である、1993年の12月中旬、
転移性の肺がんで余命3ヶ月の診断を受けました。
「受けた」と言っても、本人には伝えていません。

健康診断の結果について、先生から伝えたいことがあるので、
オモニに来てほしい
という病院からの電話を私がとりました。
あんまりよくないことだろうとは思ったけれど、
まさか、こんな内容とは。
オモニから聴いた時には、ドラマみたいなことが現実に起こるんだと思いました。

昭和17年生まれのアボジは年代的にも仕事人間。
どうやって入院「させる」か。
これが、ひと苦労。
先生は、肺に関する別の病名をアボジに伝え、
検査入院ということで、どうにか入院。

その日のことで、今でも忘れられないこと。
アボジ・オモニ・私の3人でテレビを観ていました。
ちょうど、午後のワイドショーの時間帯で、
フジテレビのアナウンサーだった逸見正孝さんの
自分がガンであるということを発表する記者会見をやっていました。
何というタイミング。
オモニと私は、平静を装うのが本当に辛かった。
そして、他人事のように「かわいそうに」と言っているアボジに
何も言えなかったなぁ。

先生曰く、本人には告知はしないとのこと。
なぜならば、アボジの性格から、
告知をした場合、滅入ってしまって、余命が短くなる可能性があるから。
まだ数度しか会っていないのに、それを見抜いた先生はすごいなぁと思ったものでした。

とはいえ、検査入院という名の抗がん剤治療。
吐き気が伴い、髪の毛が抜けてくれば、
素人でも自分はガンではないか、ガンだ、と感じるはず。
ということは、告知はしないけれども、本人が気づくという可能性があるということ。

アボジが亡くなった後、何度か考えたことがあります。

「本人に告知した方がよかったのではないか」

結局は、本人に訊いてみなければわからないけれど、
「エンディングノート」を観た今は、
ベストな形で本人に伝わるんじゃないかと思うようになりました。
ということは、我がアボジにとっては、
先生が下した決断がベストだったということ。
面と向かって告知をされるより、
自分で気づいた方が受け入れやすかったんだ。
今、こうやって書きながら、スッキリしました(^^)

私は、アボジが亡くなったことは悲しいけれど、
彼は、一番働き盛りで人生を終えて良かったと思っています。
強がりでなく、そう思います。
たぶん、パソコンも携帯も使えないだろうし、
定年退職した後は、下手したら熟年離婚だったと思うから(笑)。
それに、
午前様で帰ってきた翌日に6時前に起きてゴルフへ行くとか、
週3~4日、「接待」という名のもとに国分町にいたとか
(とはいえ、お酒が弱いアボジは水割りに見えるウーロン茶で付き合っていたらしい(^_^;))
そんな毎日を突っ走った生活をしていれば、
51歳で亡くなったのも、今となってはうなずける(笑)。
しかも、「ガンは金持ちのなる病気だ」とのたまってました(爆笑)。

他にも数々の武勇伝ならぬ身内の恥をさらすエピソードはいろいろありますが、
亡くなったアボジの面目を保つためにも、この辺で止めておきます(笑)。


そして。
たぶん、「エンディングノート」のこととアボジのことは書こうと思っていたけれど、
2ヶ月経った今、書こうと思ったのには、このタイミングだったと思える出来事が
先週ありました。

私がOLになって初めての直属の上司が先週、亡くなりました。
金曜日に、その知らせを元同僚O氏から電話でもらいました。
Tさんという、その方は、本当にステキな方でした。

まだ分煙なんてない頃だったので、
事務所の自席でタバコをふかしながら、ソリティアをやってました。
耳にはイヤホン。
イヤホンからはサザンが流れてました。
これだけ聴くと、どこがステキな上司だと思うかもしれません。
私のOL時代をよく知る人は、お分かりかと思いますが、
そんな過ごし方をしても、仕事をおろそかにしているわけではないのです(^^)
経理担当だった私は、年度末になると決算処理に追われました。
伝票も帳簿も手書きだったので、
3月31日は夜9時ぐらいまでは仕事が当たり前でした。
そんな時、Tさんは、私と経理担当の上司が仕事が終わるまで、残っていてくれました。
サザンを聴き、ソリティアをややりながら(笑)。
それ以外で、たま~に残業している時にも、そうでした。
でも、
「お前たちのために残ってやってるんだ」
みたいな空気は全く出さない方でした。


そんなTさんが異動される時には、本当にさびしかったです。
その後、職場が楽しくなくなったのを今でも覚えてます。
でも、人の出会いはタイミングで、
その時期に一緒に仕事をした数人の方々で、
定期的に集まって飲み会をするようになりました。

たしか、3年前のその飲み会の時。
お店を決めるのに、Tさんが車椅子のため、
車椅子がOKなお店を探してほしいと言われました。
私はてっきり、退職直前に手術されて、人工透析をされているという話を聴いていたので、
体力が落ちていて、念のための車椅子なのだと思っていました。
その飲み会が終わり、ご家族が迎えに来たということで、
みんなで外まで見送りに行きました。
Tさんが車椅子から車に乗り移る時、
彼の片足が停まっている車に触れ、ズボンがその車を撫でたような状態なのが目に入りました。
笑顔で見送りながら、何が何だか分からず、
店に戻った私と元同僚O氏は、自分たちが見た光景を確認しながら、
号泣したのを覚えています。

その後、年に1度のペースで、同じお店で飲み会をしました。
昨年11月に私の退職祝い(?!)と称して集まった時には、
残ったもう片方の足も、壊死が始まっていて、
生きられるなら切ってくださいとお願いしたと話されていました。
会社を退職されて、お孫さんもでき、
Tさんにとっては、身体の不自由さよりも「生きる」ということを選んだのだと思いました。
そんな姿を見て、今まで以上にTさんをステキな方だなと思いました。

昨日、お通夜に行ってきました。
知らせを聴いてからは、ふとボーっとしている時に、
このことを考えていて、何とも言えない気持ちになっていました。
たぶん、このことを事実として受け止めたくなかったんだと思います。
お通夜に行って、受け止めざるを得ない状況になりました。
奥さまに声をかけていただいた時に、
今までフタをしていた感情が爆発して、ドッと涙が出てきました。

入退院を繰り返していて、
昨年の3月11日は入院中だったとのこと。
逆に、自宅にいなくてよかったと笑いながら話されていたのを思い出します。
いつも自然体で、
言いにくいことも、相手のためと思えばハッキリ言って、
人との縁を本当に大事にされていた方でした。

まだ、ちゃんと受け入れるには時間がかかるけれど、
お通夜から帰ってきて思っているのは、
天国で我がアボジと出逢って、一緒に楽しくお酒を飲んでるといいなぁ~ということ(^^)

たぶん、ときどき思い出話をしながら楽しく笑っているのが、
亡くなった方への一番の供養だと思うのです。

いつか、自分にとってのその日が来るまで、亡くなった方々の分も
楽しいこと
うれしいこと
悲しいこと
辛いこと
を経験して、
いろ~んなものを見て、
「後悔しないように生きる」1日、1日を過ごします♪


うん(^^)
やっぱり、このタイミングじゃないと書けなかった。
ここまで書いての結論です(笑)。

もし、ここまで読んでいただけた方がいたら、
本当にありがとうございましたm(__)m
by k_kappy | 2012-03-26 21:21 | ひとりごと